第十話「最後の一対」の感想です。原作第四巻収録の「解」「最後の一対」「成人になるということ」「総評」をベースにしているお話です。
この記事は、ネタバレ込みで感想を述べます。了承の上でご覧ください。
感想

このお話は、『希望と絶望』そして『快報と解答』の回だったと感じました。
ケイトとエミリコのお披露目の合格と、合格に沸く裏舞台で語られるシャドーハウスの真実とシャーリーの死。
筆者は、原作初見時にシャーリーの死が直視できず、茫然自失となったことを思い出しました。
ラムの気持ちを慮ると、とても辛いです。
しかし、この衝撃的な結末をプロット的に分析するなら、シャドーハウスとの対決姿勢を強めていく主人公陣営に、視聴者が感情移入しやすくなる構成と考えられます。
この回によって、シャドーハウスの秘密の一部が視聴者に公開され、いよいよもう一人の主人公であるケイト目線で物語が動き出します。
ここから、物語がミステリーとサスペンスの要素を強めていくので、今後の展開が楽しみですね。
手始めに、偉大なるおじいさまの偉大なる煤入りの偉大なコーヒーで病みリコになってしまったエミリコを救うケイトに注目ですね。

アニオリ演出

アニメ第五話の放送当時、広場でのダンス中にケイトが語るはずだったエミリコの名前に関するセリフを、何故かカットされ筆者は疑問に感じていました。
今回のその解答として、庭園迷路をクリアする際の追加演出として、ケイトのモノローグが挿入されましたね。
とても秀逸な演出だったと思います。
水路を下ってゴールを目指すシーンに、ケイトの心情を入れることで原作以上に盛り上がりました。
スピード感を損なうことなく描写されていたことも素晴らしかったです。
第五話放送当時は、エミリコの名前を決めるアニオリシーンを一話目に入れたので、省いたものと思っていましたが、思わぬアニオリ演出でした。
アニメスタッフのシナリオ構成の妙ですね。
ケイトのセリフに「私のことをよくみていてくれるのね」というものがあります。エミリコが、ケイトの服が汚れていないからお披露目を諦めない、と語ったシーンです。
これは、第五話「お披露目」の、ロビーでダンスをするシーンでの「(エミリコは)誰にでも優しい。たまには私のこともみてほしいけど」というケイトのセリフに対応していますね。
ケイトが、エミリコの個性を尊重しながらも少しだけ寂しさを匂わせたシーンへの回答です。
ケイトの考える以上にケイトのことを考えていたエミリコ。
籠の中で孤独と戦っていたケイトへのご褒美でしょうか。
原作を読んだだけでは気が付けないセリフでした。
ケイトのモノローグ演出の意味はここにもあったんですね。
ジョンの手紙
ジョンがケイトに何か渡していましたね。
原作にはないシーンでした。
筆者は、あれを手紙だと思っています。
ここでは、ジョンの渡したものを手紙だったと仮定して考察してみましょう。
内容は分りませんが、おそらく婚約の約束に関する事だろうと想像します。
しかし、手紙の内容よりも、それが手紙であるという事実が重要です。
何故なら、この手紙は、ケイトがジョンを仲間に引き込むための手紙をスムーズにやり取りさせるための、布石だと考えられるからです。
原作での今後の展開は、ケイトが、「煤による病」に関するエミリコの日記をヒントにエミリコの洗脳をとき、エミリコにシャドーハウスの秘密と人間である事実を伝えます。
そして、煤能力覚醒したシャドーとして、ケイトが修練の間で煤の訓練を受けます。
その時に、ジョンに手紙を渡しますよね。
残り話数からの憶測ですが、修練の間のシーンはカットされると思っています。
その場合は、事前にジョンから手紙を受け取っておくことで、ケイトは返答という自然な形で手紙を渡すことが出来ます。
仮定ありきの根拠薄弱な考察ですが、物語の展開とプロットの構成から見たメタ推理です。
可能性は高いと考えています。
最後に
今回エドワードから語られた、シャドーの秘密の一部は、

こちらの記事で触れています。原作ネタバレを含みますが、よければご覧ください。
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