【アニメ感想】シャドーハウス第八話「手のひらの上」を原作ファンが語る~今回のテーマは『顔』~

アニメ感想

今回の「手のひらの上」は、原作単行本3巻の「主席」「いつもの姿」「見えないから」「試験官」のエピソードでした。第33~36話です。

本記事は原作ファンによる感想記事です。原作ネタバレを含みます。ご理解の上でご覧ください。

アニメ感想

20分があっという間に過ぎます。

ホントに面白いアニメは時間を忘れますね。内容を知っていても見入ってしまいます。

主席

シャドーハウス第八話より:©ソウマトウ(著)シャドーハウス/集英社/アニプレックス.All Rights Reserved.

いやwルイーズ、顔!ルウw

今回は顔芸が光る回でしたね。

筆者にはそういった趣味はありませんが、刺さる人には堪らないのでしょう。
良かったですね。

シャドーハウス第八話より
©ソウマトウ(著)シャドーハウス/集英社/アニプレックス.All Rights Reserved.

数分前までこんな事していたはずのルウに↑のような表情で軽蔑されたら、筆者がリッキーなら立ち直れませんよ。お披露目の後にコーヒーを飲んで唯一救われたのはリッキーでしょうね。

(そもそも、あなたはリッキーじゃないでしょう、と ゆみりボイスで窘められそうですが)

ルウは、このマスクをしている時にルイーズを助けてみてほしかった気もします。

ルイーズがどんなリアクションをするのか大変興味があります。

そして、初見であれば、ルイーズとルウに冷遇されたリッキーが次週どのような行動に出るのか!?となるところですが、筆者は原作勢なので当然先がわかっています。

流石だなあ、と感じたのは、今回のアバンでお披露目のルールを再確認するシーンを入れて事です。

  • 生き人形は、顔を傷つけてはならない
  • シャドーは服を汚してはならない

この二つに加えて、エドワードが言っていたのは「生き人形は主人のシャドーのためにある」
そして、「考えるべきこと」「考えるべきではないこと」をよく考えろです。

このアバンの効果は、視聴者にルールの再確認をさせる事と、リッキーが「パトリック様の為にライバルを蹴落とすべきでは?」という風に考えるかもしれない、と視聴者の予想を誘導するためと考えられます。

更に、よく見ないと気が付かないシーンですが、エドワードが「生き人形は主人のシャドーのためにある」と発言したシーンのラムの表情に注目してみてください。
ラムの表情から、とてもバツが悪そうな、後ろめたい感情を覗かせていることが解ると思います。

これが、「見えないから」にてラムがエミリコに心情を吐露するシーンに繋がるわけですね。

見えないから

シャドーハウス第八話より:©ソウマトウ(著)シャドーハウス/集英社/アニプレックス.All Rights Reserved.

自分はシャーリーに愛されていない、と涙するラム。

そして、それを、自身の経験を交えて励ますエミリコ。

顔芸に持っていかれそうになりましたが、とても良いシーンでした。

ラムのコンプレックスの正体は、内向的な性格に起因した、シャーリーとの距離感だったことがここでわかります。

本来なら天才ともてはやされて然るべき才覚を持つラムですが、シャドーハウスで生き人形の価値観を押し付けられ、お影様の役に立てていないことで自己評価が低く、自信が持てなくなっていました。
(それが、シャーリーにも反映されていたわけですね)

それを救ってくれたエミリコは、ラムにとって、道を明るく照らしてくれる太陽のような存在だったことでしょう。

しかし、どうしても思い出されるのは、ロビーにてエミリコの名前がケイトと似ていないことをからかわれるシーンです。

この記事でも少し触れましたが、あの時に本当に傷ついていたのはラムなんですよね。

それを差し置いて、エミリコだけがしょんぼりするのは、胃の腑に落ちないというのが筆者の正直な感想です。

特に、一話目のアニメオリジナルの「名付けシーン」を考えると、心が煤で覆われたような気持になります。

ただ、いろんな方の感想記事や動画を拝見したのですが、どうやらこれを思っているのは筆者だけのようです。
迎合するわけではありませんが、自分だけが文句を言ってもしょうがないので、この話はここまでにします。

名前と言えば、面白い話を聞いたのでご紹介したいと思います。

名前の小ネタ

シャーリーに名前を付けられなかったことを悩んでいたラムですが、ラムはラム酒、そしてシャーリーは、シャーリー・テンプルというノンアルコールのカクテルであり、酒にちなんだ名前になっています。

シャーリーは、英語圏の女性の名前で、「白い草原から」という意味だそうです。

シャドーの名前としては皮肉な名前になっています。

シャドーの名前が元々は生き人形の名前だったことの伏線……、と考えるのは穿ちすぎでしょうか。

次にエミリコの愛称「お花畑」についてです。
これは、楽観的な思考や思想の人物を嘲笑的に揶揄するときに用いられる表現です

この「お花畑」は海外向けの英語翻訳では、「Sunshine」と呼ばれています。

真意は定かではありませんが「Little Miss Sunshine」が語源ではないかと云われています。
海外のコメディドラマの名前です。もしかしたらエミリコのような女の子が出てくるのかもしれませんね。

いつもの姿で

順不同になってしまいましたが、このエピソードで、エミリコが荷車を選択した理由が明かされます。

そして、自作した箒で迷路攻略に挑むのでした。

この時に感心したのは、こびりつきが、しっかりエミリコ達の顔を目掛けて飛んできていたことです。

こびりつきの性質がアニメで明かされることは恐らくないと思われますが、描写されていたので二期制作の期待値が上がりました。

試験管

シャドーは、大人になるときに生き人形と融合します。

あたかも、人が大人になる過程で、お人形遊びから卒業していく事の象徴として、隠喩的に描いているようです。生き人形からすれなたまったものではありません

と、原作で明かされている範囲で考えればそうなります。

ここでふと思ったのですが、本当に生き人形の人格は消滅してしまうのでしょうか?

原作では、そのように描かれていますが、果たして真実でしょうか……。

そのような疑問が浮かんだのは、今回のエピソードでアイリーンが、エドワードの仕事ぶりに対して「エドの性格を表している」と評しています。

そして、アニメ第六話「庭園迷路」、原作25話「審査基準」にて予定通りにならないことで憤ったエドワードが昂った感情を鎮めるために放った「焦るなエドワード」というセリフが気になります。

普通に考えれば、自分に対して客観的に窘めているだけと考えられます。

しかし、もしかしたら、大人の中には、生き人形の人格を同居させているシャドーもいるのかもしれません。それがエドワードの可能性もあります。

あくまで考察です。もし、そうなら原作でのクリストファーやアンソニーの不自然な行動の一部を説明できるかもしれません。

頭の隅にでも留めておいていただければ幸いです。

最後に

パトリックが花を愛でているカットとジョンが目が悪いショーンの手を引いてあげているカット、漫画ではそこまで気にしませんでしたが、アニメーションが付くと印象に残りますね。

印象的といえば、ED。
エドワードの完璧なシナリオで行けばこうなる、みたいな青写真を描いているのでしょうか?

このEDの分析や考察も考えたのですが、正直あまり面白くなかったので割愛しました。

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